恐怖心に囚われた時、いかにして乗り越えるか?
以前、とあるアスレチックの公園に息子と行ったときのことです。
私は子供の頃から、あのような壁に登ったり、ロープでターザンのようなことをするのが大好きであったためか、あまりの久々の感じに、息子に喜んでもらうために訪れたはずが、私自身が息子以上に楽しんでいました。
ところが、残りあと4分の1の終盤に差し掛かった時に、異変が起こったのです…。
なぜ、そんな異変が発生したのかをご理解頂くためにも、1つ想像して頂きたいことがあります。
あなたは、子供の頃の体育などで、平均台の上を歩いたことがあるでしょうか?
だいたい幅10cmくらいの細い台の上をスイスイと歩くようなものです。特殊な状況の方でない限りは、ほとんどの人が、あの超細い台の上を軽々と歩けたのではないかと思います。
このアスレチックの最後のメインイベントは、水の上で楽しむものでした。そして、まさに先ほどの平均台が池の上に長々と設置されていたのです!
この写真のようにです。しかも、どこまで続くのかが分からないほど、これが長い!
(写真引用元: 清水公園 Webサイト )
このアスレチックの地上の施設でも、平均台のような箇所が何個もあり、私はかなり小走りでクリアしていました。
ですので、これも同じような感じで走り抜けようとしたところ、たった数歩進んだだけで、カラダがくらっとして、思わず、池に落ちそうになってしまったのです…。(恐)
私は慌てて足を止めて立ち止まり、呼吸を整えました。
少し気持ちを落ち着けた後、再び、足を前に出そうとすると、なんだか足が震えてしまい、いつもの調子では走れません。ですので、足を震わせながら、半歩ずつ足を前に出しながら、ゆっくりとゆっくりと進むので精一杯でした…。
地上と変わらないスピードでスイスイと走り抜けていく息子の後ろ姿が、どれほど眩しかったか分からないほどです!
補足をしますと、地上の平均台は幅10cmでしたが、この池の上の平均台は幅30cmもありました。
3倍も太かったのです。地上よりも3倍も余裕があるのに、なぜ、私は走るどころか、まともに歩くことさえもできなかったのでしょうか?
私が囚われてしまったものの正体とは?
私がこの池の上の平均台に足をかけて最初の数歩の間、脳裏に浮かんだのは、
「落ちるのではないだろうか?」
という気持ちでした。
実際、遠くの方では、何人か落ちている大人もいましたので(子供は落ちない!)、自分も同じようになるのではないかと、想像してしまったのです…。まさに、これこそが「恐怖心」に囚われた状態そのものです。
人は恐怖心に支配されると、
1)冷静な判断ができなくなってしまいます。(思考)
2)すると、いつもとは違う行動をとるようになります。(行動)
3)だから、いつもならできるはずのことが、できなくなってしまいます。(結果)
今回の池の場合ですと、
1)池に落ちるかもしれないと恐怖心に囚われた。(思考)
2)すると、平均台の下を見たり、落ちないように着地する場所を意識しようとするといった、いつもとは違う行動をとるようになった。(行動)
3)だから、いつもとは違う走り方になってしまい、バランスを崩して池に落ちそうになった。(結果)
というような感じです。
人は恐怖心に囚われると、間違った行動をしてしまうもの…
起業や経営においても、「これは、ちょっとヤバイぞ…」のような出来事が起こると、恐怖心に支配されてしまいがちです。そうすると、正しい判断ができず、間違った行動をとってしまい、自らの力で、さらに悪化させてしまうことは、極めて多いものだったりします。
例えば、この3月末に想像以上の顧客流出があったとします。すると、「何これ、まずい!」と直感的に感じます。そして、恐怖心に支配されると、「来月も、同じように流出するのではないだろうか?」のように、起こってもいないことを妄想するようになります。
そうなると、正しい判断ができなくなり、
「もしかすると、自分のこの商品が悪いのではないだろうか?」
「この商品、そろそろ寿命なのではないだろうか?」
といったことを、考える人もいたりします。それで、本当にその商品の販売をやめて、新しい商品をつくらないといけないのでは、のような判断をしてしまう人も珍しくありません…。
当然、ヒットする新商品など、そう簡単に生み出せるわけではありませんので、結局それは上手くいきません。もとの商品にも既に見切りをつけてしまっているため、もはや最悪の状態に陥ってしまうわけですね。
でも、恐怖心に囚われずに冷静な判断ができる人であれば、
「3月末は年度の切り替わりだから、経費の見直しをした人が増えた可能性があるかな?」
「こうしたことは、定期的にあるものだから、これまで以上に、安定的に新規顧客を集客できる仕組みをつくっていこう」
「もっと根本的なこととして、顧客が利用をやめたいと思わないようにするために、今の商品にさらに磨きをかけていこう!」
のように、正しい行動をとれるようになっていくわけです。
どうしたら、恐怖心に囚われずにすむのか?
誰もが、上記のうち後者のようになりたいと思うものでしょう。でも、ほとんどの場合には、池の上の私の話のように、恐怖心に囚われてしまいます。そんな時、どうしたら恐怖心から逃れ、いつも通りの行動をとれるようになれるのでしょうか?
その解決策についてお話しようと思うと、1つのセミナーができてしまうほどですので(実際、教材があるほどです)、今回は、最も重要な1つの方法をお伝えします。
それは何かというと、目の前の小さなことに目を向けるのではなく、もっと大きな超長期目標に目を向けるということです。
例えば、私は「競合がいないビジネスモデルを生み出す」再現性がある手法を世界中の誰よりも追求し、この仕組みを「MBAを超える世界的資格」にしていきたいと考えています。そのために、たった今も、命をかけています。
そのような使命のために全てを捧げると決めているとした場合、今、目の前の池の上の平均台から落ちることは、極めて些細などうでもいいことではないでしょうか?
「落ちたらヤダな…」と思うのはなぜかというと、周りから笑われて恥ずかしいとか、帰りの電車でズボンが濡れているのを見られて、不審者だと思われるのではないか、、、といった気持ちがあるからです。
でも、そのようなことは、「MBAを超える世界的資格」を創ろうとしていることから考えたら、極めてどうでもいいことです。いっそのこと、落ちてしまえばいいのではないでしょうか? そうしたら、その後、ふっきれて猛スピードで池の上を走り抜けることができることでしょう!
先月末に顧客がたくさん流出してしまった、ということも、目の前の売上や利益、自分の給料、生活費といった、目先のことを考えると、極めて重大な出来事に見えるものかもしれません。
しかし、「MBAを超える世界的資格を創る」というミッションの元においては、爪の先が割れてしまったというような、些細な出来事ではないかと感じます。やがて、爪が伸びれば元通りになるようなレベルの話です。
それが、恐怖心に囚われてしまうと、その爪自体がダメになってしまったら、爪自体を交換しないと(新しい商品をつくらないと)いけないと、判断を誤ってしまうわけですね。
爪を交換するようなことは、想像さえもしたくないほど痛々しいことですが、売れている商品の販売をやめて、新しいものに手を出すことの方が、もっと痛々しいことかもしれません…。
もしあなたが、今後、恐怖心に襲われそうになった場合には、目の前の出来事に囚われるのではなく、そもそも人生において何を成し得るために、自分の命を使おうとしているのかに目を向けて頂けたら嬉しい限りです。
一般社団法人シェア・ブレイン・ビジネス・スクール
中山史貴
追伸: 今回ご紹介したアスレチックの施設は、千葉県にある清水公園です。ご興味がある方は、池の上の平均台を渡って、私が味わった恐怖心を感じて頂けたらと思います!(笑) [清水公園の詳細はこちら→]